Message代表メッセージ

2016.10.31

松阪航路の休止と、津航路への一極化に関する件

津エアポートライン株式会社 代表取締役社長
小嶋光信

平成28年10月20日付で、松阪市より松阪航路廃止の要請を受け、本日、松阪市長を訪問して、平成28年12月19日をもって松阪航路を休止し、津航路に一本化することを回答いたしました。

思えば、平成21年8月に松阪高速船㈱が破綻した際、松阪市と松阪高速船㈱を運営する江崎汽船㈱の両者から救援要請があり、お引き受けした松阪航路を、お約束通り協定期間満了まで運航出来たことは感無量です。

今後は松阪航路を津航路に吸収し、一極化することで、更なる利便性向上を図るために平成28年12月20日から2便増便し、往復とも1日15便(計30便)体制といたします。

また、津市とも連携し、駐車場の増設検討や、サービス向上と営業努力で今後も当航路が三重県の空路の表玄関として十分機能するように努力します。

これを機に、松阪航路が皆さまにご愛顧頂いた証として、津エアポートラインの航路愛称を「津ベルライン」として、今後も津市と松阪市をはじめ、三重県にお住まいの皆さまや三重県を訪れるお客様の便利で早い、唯一の海上アクセスとして努力いたしますので、引き続きご愛顧の程よろしくお願いいたします。

以上

参 考 
津航路と松阪航路などの誕生経緯 補足

中部国際空港の開設計画により、三重県は海上アクセスの公募を平成14(2002)年に行ったが応募企業はなかった。

これに困った津市は、当時の助役が旧知の旧・両備運輸(現・両備ホールディングス)へヒアリング依頼をした。そこで原因分析と対策のコンサルを無償でお引き受けした。私が分析したところ、コンサルの出した5航路案は全く根拠のない、過剰な需要予測と分かり、解決策としてヨーロッパ方式の公設民営による、津市―中部国際空港間の一航路のみの開設を進言した。

当時の三重県や津市などで協議の上、津市からの航路だけに限定するという約束で、公募を経て、平成17(2005)年2月に津エアポートラインを開設した。当初は、中部国際空港の開港人気もあり、大成功のスタートを切ることが出来た。

三重県は、平成17(2005)年の津航路の開設で、海上アクセスの津市航路への一本化を図ったが、松阪市はこれに従わず、九州の江崎汽船㈱に依頼し、松阪高速船㈱として平成18(2006)年12月に航路を開設した。しかし、需要不足と燃料費の高騰で、わずか3年弱で松阪航路は破綻[平成21(2009)年8月]した。

また、相前後して四日市市も航路を開設し、伊勢市でも航路開設へ向けた港造りが始まり、激しい地域間競争の様相を呈し、凄まじい顧客争奪戦が繰り広げられたが、弊社の津市と三重県への分析と進言の通り、松阪航路のみならず四日市市の航路も破綻し、伊勢市も港を造りながら運航会社の倒産で頓挫したという経緯がある。

松阪航路の破綻がはっきりすると、当社に松阪市と松阪高速船㈱を運営する江崎汽船㈱の両者から救援要請があった。

本来はその時、航路を廃止するべきだったが、国からの多額な補助金で造った港の設備費用(数十億円の補助金)返還が松阪市にのしかかってくるため、新市長は松阪航路を廃止するという公約に反し、苦渋の航路維持の選択に至った。

当社としては、

  1. 断れば、国への多額の補助金返還を恐れて、他社へ補助金をつけて航路維持を依頼する懸念があり、再び両航路が顧客の争奪戦をすれば、燃料高騰なども相まって、共倒れの懸念があったこと。
  2. 松阪航路の船を運用し、津航路も船のやりくりでドック中の数ヵ月間、減便せずに航路数の利便が図れること。
  3. 両航路の運用で、松阪航路は我慢し得る範囲で再建の目処が立ったこと。すなわち、他社へ補助金を払って航路を再開された場合の損失と、松阪航路を当社で維持した場合の損失とを比較すると、はるかに当社が再生する方が合理的という結論だったこと。
  4. 総合的な両航路の発展を期待出来るよう、経営出来る自信があったこと。
  5. 造ってすぐ港を壊すという国家的損失を避けるとともに、津市と松阪市の両市の友好と三重県全体の発展に寄与できること。
  6. 両地域の協力関係への支援要請も非公式にあったこと。

等から、津航路の安定的維持と、再び共倒れにならないよう、その原因を断ち切るために松阪航路の維持を決定した。

従って、今回の契約満了で、当初からの上記の目的は全てクリアできているため、松阪市の「廃止する」との結論はごもっともということで、

  1. 二度と松阪市でこのような航路開設をしないこと。
  2. 今後も津航路を松阪市民の皆さまにご利用いただき、松阪市と津市がお互いに地域間協力をされ、両市や三重県全体が発展することを期待していること。
  3. ただ、一つ残念なことは、命がけで守った港湾施設が、港湾としては廃止すべきとしても、多大な費用をかけて施設まで壊すということは如何なものかと思われる。海浜性の松阪の物産市、例えば「海浜の駅」などとし、松阪牛のバーベキューや物産市、獲れたて魚市などで、市民や観光客が集い、子供たちの海浜に関する勉強や遊び場として活かす工夫をして欲しい。

の3点を松阪市と、ご協力頂いた津市にご説明することとし、当航路を発展的に休止することにした。

津航路の公設民営の成功が、

  1. 和歌山電鐵の再生を通じて、公共交通による再生の有益な手法と広く認知され、多くの地方公共交通が救われ、「交通政策基本法」成立の一助となったこと。
  2. 松阪航路などの失敗で「安易に公共交通を地域間競争や政治の道具とする危険性」が国や地方自治体で認識されたこと。

で、「地域間競争」という「競って争う」から、「競って創造する」の「地域間競創」へと変化して、地域がますます栄えることを大いに希望する。

今までご利用いただいた松阪市民の皆さまに心から感謝申し上げるとともに、津航路を通じて、これまで以上に津市、松阪市と三重県の発展にご協力していく決意です。これからも津エアポートラインを「津ベルライン」の愛称でより一層ご利用頂けますよう偏にお願いいたします。

最後に、有期の航路と知りながら両地域の融和と航路の安全・維持に、ひたむきに最後の最後まで運航努力してくれた当社船員並びに社員の皆さんに、心から感謝しています。

20161028tsu

2016.10.28
津エアポートライン

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